最近読んだ本のメモ5冊分

最近あまり小説を読まない。なにを読んでいるのかというと、言語とか宗教とか、そういう人文ちっくな系統の本をちらほら、文庫だとハヤカワ文庫NFか講談社学術文庫、文庫以外では書店へ赴いた際に目についたものを、適当に買って読んでいる。いくつか挙げておく。

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

ホメロスに結構なページ数を割いて、言語と視覚の話をしている。私はどちらも読んだことがないので、教養を問われているなと思った。例えばマーガレット・アトウッドの「侍女の物語」には、ラテン語を知っている前提の場面があるわけだが、注釈で理解するのと、原文で読んでおかしさに気が付くのとでは全然異なることであり、こういうときに古代人がバベルの塔を建てたことに対して絶望する。少なくともオデュッセウスだのイーリアスだのについては、日本語訳が存在するわけだから、その気になれば今からでも読めるのだけれども。

神のいない世界の歩き方──「科学的思考」入門

こちらは信仰のある人には向いていないタイプの本だ。主に旧約聖書や新約聖書を取り上げている。生物の進化についても触れている。世界史の大まかな流れが頭に入っているほうが入り込みやすいかもしれない。一言でさらっと説明するのが得意ではないため、紹介するとなると「面白かった」としか言えないのが心苦しい。

これまで異世界ものを書くときに、私は信仰を感じさせる描写はしなかった。宗教まで考えていなかったので当然といえばそうだろう。登場人物たちには作者の操り人形であってほしいわけではないから、文明レベルに応じて宗教感も考慮したほうがいいなと感じた。

なお私はこの本を読む前に、次に紹介する本を読んでいた。

教養として知っておきたい 「宗教」で読み解く世界史

これは世界史の本なので、ひとつ前の「神のいない世界の歩き方」とは異なり、仏教やそのほかの宗教についても取り上げている。なおこちらは「『宗教』で読み解く~」となっているが、民族版、王室版もあり、私は民族版を先に読んでから宗教版を読んでいる。

なにかの取っ掛かりになるような本は結構好きだ。どんな分野においても基本的な知識を入れておくと、別の本を読んだときに解像度が上がって楽しい。まさか自分が世界史に興味を持つ日が来ると思っていなかったので、高校の世界史の教科書を置いておかなかったことが悔やまれる……。ただ宗教の分布は高校の地理で覚えたので、入り乱れているアジアのあたりは楽しく読めた。先ほども述べたが事前知識の有無は大きい。

大学の起源

文明レベルが現代の先進国に遅れを取っていそうな異世界を書くとき、いつも苦労して捻りだしていたので参考になりそうな本を買った。単位のくだりは今の学生にも通ずるものがある。学府が出てくるときは大活躍するだろうし、そうでなくとも当時の学生の生活についても記載があるので、生活水準の参考には十分になる気がする。Amazonのレビューを見ると「現在では読む価値を失った本」とあるが、異世界の参考にするのだから気にしない、気にしない……。

スウェーデン絶対王政研究―財政・軍事・バルト海帝国

これは唯一図書館で借りて読んだ。クリスティーナ女王の侍女か側近かに転生して「今日も陛下が麗しい!」みたいなことをやる小説を書くことを企んでいた時期があり、クリスティーナちゃんの情報を集めるために借りた。王領地がどのような役目を果たすかなんて知らなったし、王と民の力関係も私が思っていたのとは少々異なっていた。

かつて異世界FTを書いた時に王族を出したことがあるが、それがあまりにもチープに思えた。リアリティを追求しているわけではないものの、身分や立場が分かりやすい描写をするには本物から学ぶのが一番だろう。

サイレントマイノリティの居場所はないよ

以前、創作している誰かがTwitterのアカウントを消すのは、必ずしも感想の有無とは関係ないと思うという話をした。かくいう私も感想とは関係のない理由でアカウントを消していて、もう二度と小説メインでは活動したくないなーとまで思ってしまうほどだったので、いつかの私が再度小説主体で活動をしないように色々と書き残しておこうと思う。

ことの始まりは、多分イベントに出たことだった。大前提として、わざわざプロフに明記していないが私はBLがド地雷である。BL以外にも地雷は山ほどあり、しかも少年はいけるけどショタが無理みたいな、線引きの難しいものまで有している。十五少年漂流記やおおどろぼうホッツェンプロッツシリーズはめちゃくちゃ好きなので、少年自体が問題ないのは確かだ。そしてお姉さんも好きである。けれどもおねショタには一切食指が動かないし、薄々お察しいただけるように私は女性向けジャンルにあまり縁がない。元々長らく触れていたジャンルも男性向け一次だったため、私はこの世にBL耐性のある女性がどれくらいいるのか考えたことがなかった。要はBL主体で創作活動をしている人が、私の創作に触れる可能性を1mmも考慮していなかったのである。

具体的な事例を挙げれば、オンラインイベントで「初めまして、このイベントの主催です。あなたの創作に興味を持ったのでTwitterをフォローしました。よろしくお願いします」みたいなことを言われてその人のtwitterに飛んでみたらBL創作をしていたとき、どう返せばいいのか分からなかった。なにせ私の精神衛生上、その人のことをフォロバできないし、フォロバしたところでミュートすることになる。幸か不幸か、それは掲示板ちっくなところに書き込まれたものだったので、私は気が付かなかったフリをしてスルーした。だってどうすればいいのか分からなかったし……。

同じようなことがリアルイベントでもあった。「よかったら繋がりませんか?」と言うのはやめてほしい。全然良くない。あれで断れる人はどういう言い方で断っているのだろうか。せっかくこちらの文章に興味を持っていただけたわけなので、なるべく後腐れのない断り方をしたいとは思ったが、できなかったのでフォローした。あと急にBLを書き始めた人もいた。その人たちをブロ解するのがどうにもはばかられて、私は結局タイムラインに耐えられなくなり、アカウントを消してしまったのである。関係性は分からないが小説も書けなくなっていた。

絵垢では気にしなかったことが、小説を書いたりイベントに出たりすると槍となって襲ってくるのはなかなかの恐怖である。BLが地雷の人間は少数派なのだろうかと思うほどだった。いまNLに慣らすためにNLを生産しているけれど、NLも別に得意ではないので私がおかしいのかもしれない。というか3L全部になるべく触れたくない。恋愛感情抜きの百合なら好きだが、GLは世間一般ではよく百合と呼ばれるがために、最大限の警戒態勢を敷かなくてはならない。自創作の男性陣も恋愛感情のようなものが絡んでくると、女の子のための舞台装置みたいになっている節がある。最悪すぎる……。

ともかく、私は一次創作小説を書いていた頃、マイノリティはこうやって息苦しくなるんだなということを経験した。自分の地雷が誰かの主食なら、あなたの主食も誰かの地雷なので、どう考えたって初対面の人との距離感は慎重にはかっていくべきだと思う。

諸刃の剣かもしれないね

感想を送ると絵描きや字書きが延命するよ、ってやつ、私は感想がなくても平気なので、むしろ欲しい人はどういう心境なのかと掲示板を探して見に行ってみた。私はかつて一次創作の字書きだったわけだが、そもそも一次創作と二次創作でスタンスが違うのではという考えに至る。絵、漫画、小説のいずれを生み出しているのかによっても、考え方は違うかもしれない。

それでも掲示板は、まったく収穫がなかったというわけではない。貰って嬉しい感想と嫌な感想というのは興味深かった。続きの催促にも近い感想や、技巧の称賛は歓迎されない傾向にあるらしい。そこは同意する。人によっては感想欲しいと言いつつも、「誰から」というのが隠れている場合があるらしい。いずれにせよ作品を公開するのは書き手のエゴでしかないし、その作品に目を通すことも、感想を送ることも、強要するものではないと思う。掲示板において多い意見ではなかったが、感想の内容によってはプレッシャーに感じるという書き込みもあった。

私は感想を普通に貰っていたにもかかわらずTwitterアカウントを消してしまった側なので、感想の延命効果については懐疑的だ。普通にというと微妙なところがあるので詳しく書くと、相互と全然交流できていない弱小アカウントのわりには感想を貰っていたほうだろう。自分の文章と波長が合う人に繋がっていただけていたのか、恵まれた環境にいたことは確かだ。感想があまりうまくないからという理由で、謎の掌編を書いて送り付けても寛容に受け止めてもらえたこともあるし……。

この話はそのうちどこかでするかもしれないが、私は貰った感想の量がもっと多かったとしても間違いなく、Twitterのアカウントを消していた。サイト自体はこうして残っているし、作品も載せ直す予定ではあるからなんとも言いがたい。ただ少なくとも人によって嬉しい感想は違うし、筆を折る要因というのはなにも感想を得られないことだけではないのだから、必ずしも延命にはならない。感想信仰の話を持ち出す際は、よく検討するべきだと思う。

本の行き先を案じてみるなど

意欲的に小説を書いていたころ、同人誌を出したことがある。三冊のうち、ひとつは中編、ふたつは掌編集だった。中編のほうはweb版が先にあったのだけれども、今まで書いた小説の中で一番反響があったと思う。同人誌版も、イベントで思いのほか手に取ってもらえたし、通販でもそれなりに捌けた。今回はその中編小説の同人誌版について書く。

私は小説のアカウントでも積極的に交流をするほうではなかったと思う。良いと思ったら素直にリツイートしたり感想を送ったりするし、つながりたいタグにもちらほらいいねを押してみたりする程度だった。つながりたいタグにいいねを押して誰かにフォローされたら、タグの人かどうかを確認してフォロバ、そうではないなら雰囲気が合いそうかどうかを確認、というのが当時の一連の流れだったと思う。

この話はTwitterでもしたことがあるのだけれど、ある日、フォローされた人のプロフへ飛んでタイムラインをさかのぼってみたら、私の本の感想と通販のリンクがあった。ほかの同人誌の感想は見受けられず、ひょっとすると私の本が同人小説一冊目なのだとしても、よほどのなにかがあったのだろうなと思った記憶がある。なおツイートには私へのメンションやタグ付けはなされておらず、私がそのツイートに気が付かないことは十分あり得たということは記しておく。

作品の雰囲気がぴんとこなかったのでフォロバを見送ったところ、フォローは数日後に外されていた。その人はプロフに「無言フォローはフォロバしません」という旨のことを記載していたので、少し可笑しく思ったのを覚えている。

けれどもその人は、いったい全体なにを思って私のことを一時的にフォローしたのだろうか。私の本をどこで知ってなぜに購入し、読み、感想を書いたのかはわからないが、私からのフォロバが欲しかったのならば手順が間違っている気がする。もしくは私がフォロバ100%だと思っていたとか、感想を送れば無条件にフォロバすると思っていたのどちらかであろうか。作者に確実に届くともわからない形で書いた感想を、感想を送ったカウントに含めるのはいかがなものかと思うけれども。

さておき、その人が買った私の本は今どうなっているのか、ふと無性に気になった。三日でフォローを外したとしても、本は三日で破棄されていなければ良い。そう思う。

足踏みしてるみたいな

小説を載せるのならpukiwikiのほうがよかった……と後悔しつつ、wordpressの条件分岐タグを調べていました。

今日の発見。is_tax

// カスタム投稿のアーカイブページを古い順にする
function change_old( $query ) {
  if( $query->is_tax() ) {
    $query->set('order', 'ASC');
    $query->set('orderby', 'date' );
  }
}
add_action( 'pre_get_posts', 'change_old' );

以前は、日記も含めてすべてのアーカイブを逆にすることしかできなかったのですが、なんとかカスタム投稿に限定することに成功! なお、イラストと短編掌編については新しい順のほうが良いので、その絞り込みについて奮闘しています。-IDを使えばうまくいくのでは! と思ったけど全然だめでした。というかカッコの中になにかを入れると、元通り投稿順に表示されるようになってしまう。pukiwikiにすれば良かった……。絵と漫画も、結局ある程度いじらないと思い通りの表示ができないので、やはりtumblrのなんとなく上位互換だなあと思うのでした。

EASELに関してはフォーラムがあるので、聞けばどなたかに教えていただけるような気もするけれど、そこまでして成形したいとも思わないので自分でごそごそやります。関数リファレンスを読み込めば、どうにかなると信じたいですね。

わかるとすっきりってやつ

今日はコンテンツを整える日だった。こういうのは作品が少ないうちにやっておかないと、私の場合、あとあと面倒になってごちゃごちゃしたまま放置する羽目になる。記事編集画面に抜粋入力欄があり、そこに短文を入れるとアーカイブページが良い感じになることに気が付いた。

このアーカイブページというのが個人的には気に入らない。アーカイブなので新しいものが上にくるようになっているのだ。イラスト展示のときには便利だけれども、小説展示には向いていないと思う。ページネーションも、古い記事へ飛ぶリンクが右、新しい事へ飛ぶリンクが左に配置されている。これも結局、絵と小説で使い勝手が違うので、ひとまずcssをいじるのはやめておいた。ひょっとするとphpのほうも編集する必要があるし。

それから漫画もおいおい展示したかったので、wordpressユーザの記事を探して読んだ。それから記事編集画面をテキストエディタのように表示できるタブがあることに気が付く。小説の編集画面でこれを押してみた。

ちゃんと一字下げできている作品についていた要素:
<p class=”cjk”>

なぜか明朝体になっている作品についていた要素:
<span style=”font-family: 源暎こぶり明朝 v6;”>

諸悪の根源の正体が発覚。

これらがどうして勝手に挿入されたのかはわからないが、これらは各段落についていて、手動で消すのは面倒だった。一旦メモ帳なんかに貼り付けて、不要な要素だけ一括削除する。勝手に明朝体になっている作品よりも、文頭一字下げできていない作品のほうが多いはずだ。今ある分はさておき、追加していく分は要素のことを気を配ろうと思う。

新しいことへの取り組みと、対価と報酬と

つい最近まで手打ちのhtmlサイトを運営していた私も、とうとうwordpressに乗り換えた。今日で記念すべき2日目である。引っ越し理由としては、絵も小説も日記も、全部同じところでやるならwordpressかなと考えたのだ。pixivは小説の表示方法が好きではないし、tumblrも小説の管理が少々難しい。けれども実際に使ってみての感覚としては、ちょっと便利なtumblrくらいである。

本当はもっと便利に感じることができるのだろう。最大限の恩恵にあずかろうといろいろいじっているが、いまひとつ、どのようにすれば小説を以前のサイトのように展示できるのかがわからない。なんで明朝体のページとゴシック体のページがあるのかわからないし、なんで文頭一字下げができているページとできていないページがあるのかもわからない。勝手に一字下げしてくれる機能もあるようだが、かぎかっこの段落まで下げられてしまったのでチェックボックスを外した。作品個別ページの各リンクも設定したつもりが、できていない。ソースコードをいじるしかないのだろうか。wordpressに対する理解が浅いため下手なことはしたくないと思う。各作品に戻るリンクを付けられていないのも悩みどころだ。自分で貼るのが最善なのかもしれない。

新しいことに挑戦するというのは、気力が必要だと思う。もちろんそれが楽しい人もいるだろうけれど、少なくとも私にとってはいつもと違うことをするのは大変だ。進学とか、クリスタをPROからEXに変えたとか、部屋の模様替えだとか、そういうことも新しいことに含まれると思うからかもしれない。大抵はそれがいいように作用すると思って始めるわけなのだから、このホームページについても、見やすさはさておき投稿だけはしやすくなったので、もう少し歩み寄れるように努力しようと思う。

部屋の片づけとごみたち

今週は部屋の模様替えをした。棚や机に仕舞ってあったものをすべて出して、家具を動かして拭いて、必要なものだけを収納し直した。

私は片づけが得意ではない。ものが多いと精神的に身動きが取りづらく感じるくせに、たくさん抱え込まずにはいられないのだ。だからこうして、定期的に持ち物をすべて広げて選別しないと永遠に溜め込み続ける。今回廃棄したのは紙類が主で、あとはこまごまとした雑貨だった。私はクッキー缶とか、クーピーとか、色鉛筆とか、A4の紙が収まる額縁とか、使いかけのシールとかそういうものを、「いつか使うかも」という思考で何年も何年も取っておいてしまうのだ……。

棚の中身をすべて出すのは骨が折れる仕事だった。私は本を読むのが好きで、それは小説に限らず「大学の起源」であるとか「アンティークコインマニアックス」みたいなよくわからないものも含む。概ね小説を書く際の世界観づくりのヒントになればな、という考えで買うわけだが、生かすことができているとは思わないので単なる読書という範疇に収まるだろう。こういった本たちはどうしても手放せないため、私が私物の体積を減らしたいと思えば、本以外を手放すしかない。それが先述した「いつか使うかも」という思考で何年も何年も取っておいてしまったものたちなのである。

なお使っていないものを一度に手放すことは私にとっては大層難しい。ゆえに前回の片づけの際にはごみ袋に入れられなかったものも、今回は入れることができた。それでもまだ抱えているものはある。ステッドラーの水彩色鉛筆、フェリシモの色鉛筆(275本)、大した色数もないコピック、高校生のときにロッカーにつけていた南京錠、コンパスカッター等々……。これらは使っていないが、今回どうしても手放せなかったので取ってある。

ものを減らす工夫というのは単に手放すだけではないとも思う。漫画は少しずつ電子書籍化を進めていて、デジタル作画の漫画はモニター上でも綺麗に見えるから、むしろ電子のほうがいいんじゃないか、なんて考えている。商業イラスト集も電子版で買い直すかを検討しているところだ。いつでも新しい本や同人誌を並べたり、ポストカードを収納しているバインダーを増やしたりできるように備えておきたい。雑貨を飾るのは好きだし、文字は紙の上で追いたいけれど、可能な限りシンプルに生きたいと思った。